徳川家康公を祀る神社として元和三年(1617)に創建。家康公は元和二年(1616)四月十七日、七十五歳の生涯を駿府城にて閉じましたが、その時の遺言により御遺骸を久能山に埋葬し、二代将軍秀忠公の命により中井大和守正清を大工棟梁として造営されました。
権現造りの御社殿は最古の東照宮建築として、平成二十二年国宝に指定されました。極彩色の社殿は桃山~江戸初期の技法を取り入れた代表的建築で荘厳な雰囲気。
楼門、神厩[うまや]、神楽殿ほか重要文化財が立ち並び、本殿の裏手には、家康公の神廟があります。
久能山(標高216m)は、もともと日本平と共に太古に海底の隆起によって形成されたもので、推古天皇(592- 628年)の頃、久能忠仁が久能寺を建立し、永禄11年(1568年)には武田信玄が、久能寺を矢部(静岡市清水区)に移し(今の鉄舟寺)、この要害の地に久能城を築きました。武田氏の滅亡と共に徳川家康の領有となりました。
久能山東照宮へは日本平からロープウェイを使っていくルートと、山下からは石段(1159段)を登るルートがあります。