柔らかい餅にきな粉やあんをまぶした和菓子で、静岡市西部にある安倍川の茶屋の名物。
安倍川餅の名は、江戸時代に徳川家康が静岡の安倍川近くの茶店に立ち寄った際に献上されたきな粉餅を気に入り安倍川餅と命名したといわれています。
本来はつきたての餅にきな粉をまぶし、その上から白砂糖をかけた物でしたが、 現在では小豆飴をまぶしたものが主流で最近では抹茶をまぶしたものもあります。
当時、大変貴重で珍しかった白砂糖を使っていることから有名になり、多くの人々が安倍川の渡しで順番を待つ間にそれを茶店で食べ、次第に東海道の名物となりました。
江戸時代、餅は腹持ちがよく、米を使って作る餅は上等のおやつで、歩きつかれた旅人には最高のおもてなしだったでしょう。明治初年には安倍川手前の街道沿いに8軒が茶店があったようです。
しかし、明治22年の鉄道開通に伴い、街道をゆく旅人も激減。安倍川餅屋の客もめっきり減ってしまい、現在も残っているのはわずか1軒、石部屋だけです。(明治後期以降に現在、安倍川もちを販売する「かごや」「橋本屋」はできました)。
石部屋では昔ながらの安倍川餅を食べることができます。小豆餡、黄粉の安倍川餅の他、山葵醤油をつけて食べる辛味餅もあります。