歌舞伎の仇討ち物で知られる曽我十郎・五郎の兄弟ゆかりの寺。北条早雲の菩提寺である早雲寺から旧東海道を少し下ったところにあります。
鎌倉時代の地蔵信仰を前身とする京都大徳寺の末寺。1181年(養和元年)に建てられた地蔵堂が前身で、箱根越えの無事を願った人々の地蔵信仰に端を発したものといわれています。
一時期荒廃しましたが1626年(寛永3年)に早雲寺17世菊径宗存の開山で正眼寺として再興。しかし、1868年(慶応4年)に明治維新の兵火にあってそのほとんどを焼失しました。
幸い、曽我兄弟化粧の地蔵2体は難を逃れ、現在も裏山の曽我堂(春・秋の彼岸に公開)に祀られています。弟の五郎の地蔵は鎌倉時代の作で、県の重要文化財。
現在の寺は、昭和初期に再建されたものです。境内には、兄弟が力だめしをしたと伝わる槍突石が残っています。4月上旬には境内に大きく枝を張る枝垂れ桜も見ごろとなります。