天文3年(1534年)に小田原北条氏の家臣が母の供養のために開いた曹洞宗の寺「天桂山 玉宝寺」で、通称「五百羅漢」と呼ばれています。
本堂には、真面目な表情のものから笑顔を見せているものまで、様々な顔を持つ計526体の羅漢像が祭られています。像の高さは24~60cmくらいで、本堂内に所狭しと五百羅漢・十六羅漢像、原籠十一面観音像、毘沙門天像が並列する様は壮観です。
この羅漢像は、享保15年(1730年)村内の添田氏が出家し、智鉄と号して広く篤信者から浄財の寄進を求め、五百羅漢像の造立を発願したことに始まります。そして、7年間に170体を造立しましたが、志を果たせず病没してしまいました。
そこで、智鉄の弟が出家し、真澄と号し、兄の意思を継いで、28年間の歳月をかけて、宝暦7年(1757年)に五百羅漢像を完成させました。