戦国時代から江戸時代にかけての平山城「小田原城」。北条氏の本拠地として有名で、江戸時代には小田原藩の藩庁がありました。城跡は国の史跡に指定されています。
3代当主北条氏康の時代には難攻不落、無敵のお城といわれ、上杉謙信や武田信玄の攻撃に耐えました。
最大の特徴は、豊臣軍に対抗するために作られた広大な外郭。八幡山から海側に至るまで小田原の町全体を総延長9キロメートルの土塁と空堀で取り囲んだものであり、後の豊臣大坂城の惣構を凌いでいました。
1614年(慶長19年)、徳川家康は自ら数万の軍勢を率いてこの総構えを撤去させています。完全には撤去されておらず、現在も北西部を中心に遺構が残っています。
江戸時代に居館部が近世城郭へと改修され、現在の小田原城址の主郭部分となりましたが、八幡山は放置されました。そのため、近世城郭と中世城郭が江戸期を通して並存し、現在も両方の遺構が残る全国的に見ても珍しい城郭となっています。
現在の小田原城 天守閣は1960年(昭和35年)に復興したもので、宝永時代の再建時に作成された引き図(設計図)や模型を参考に、鉄筋コンクリートで外観復元したものです。
内部は、古文書、絵図、武具、刀剣などの歴史資料の展示室となっています。標高約60メートルの最上階からは相模湾が一望でき、良く晴れた日には房総半島まで見ることができます。