箱根の関とともに東海道の重要な関所であり、東海道の遺跡としては全国で唯一現存する新居関所。関所役人の取り調べの様子を再現した部屋を見学することができます。
幕府は江戸を守るため全国に53ヶ所の関所を設け、「入鉄砲と出女」について厳しく取り締まりをしました。新居関所は今切関と呼ばれ、1601年(慶長6年)に徳川家康が設置。
100年間、幕府直轄として最高の警備体制が敷かれ、通行の際には各種の通行手形が必要となり、江戸へ向かう女性の「入り女手形」も必要でした。その為、婦女子の多くがここを避け、湖北を回る姫街道を通りました。
建物は再々津波に流され、1708年(宝永5年)現在地に移されました。現存する建物は、1854年の大地震で大破し翌年より建て替えられ、1858年に完成しました。明治以降、学校・町役場として使用され日本で唯一現存する関所で、国の特別史跡に指定されています。
江戸時代には面番所・書院・番頭勝手・給人勝手・下改勝手・足軽勝手・女改め長屋などの施設がありました。このうち現存する建物は面番所・書院・下改勝手・足軽勝手です。併設して女通行証文などの江戸時代の交通資料、道具類を展示する史料館があります。