江戸時代の旧東海道、大井川の東側、河原町付近の道筋は、川越に関する建物があったところで、今も地割が昔のまま残っています。
当時の史跡として川越しの料金を決めて川札を売る「川会所(かわかいしょ)」の建物が現存しており、川越人足の集会所である「番宿」や川札を換金した「札場」、荷物を縛る「荷縄屋」、仕事を割り振る「口取宿」など、周辺の町並みとともに修理・復元がおこなわれ、往時の風情を伝えています。国指定の史跡。
大井川の川越し
徳川家康は、東海道に宿駅伝馬制度を設け街道の整備をしましたが、大井川、安倍川など6つの川には橋を架けず徒歩での通行と定めました。大井川は東海道最大の難所で、増水のため川留めになると旅人は水の引くのを何日も待つことがありました。
大井川を渡るには、川札を川会所で買い、川越し人足に渡して人足の肩や蓮台に乗り川を越しました。川札の値段は、毎日川幅と深さを測って定められました。